Clagh-Skeealyn (石物語)

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御巣鷹の尾根へ・・・

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今日は、お仕事はお休みでした。
午前中に私用を済ませ、さて・・・午後から少し紅葉でも見に行こうか?と、
久しぶりに車で出掛けました。
始めは軽井沢方面を抜けて、長野周辺でも行こうか?と話していたのですが、
県道も混み始めていたので、急遽〝下仁田方面〟へ行くことにしました。
こちらは訪れる方も少なく、気持ちのいい田舎道。
紅葉も少しずつ始まっておりました。
お昼に立ち寄った上野村。
上野村と言えば、忘れられない事があります。
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日本航空123便墜落事故は、1985年8月12日18時56分に、
日本航空123便、東京(羽田)発大阪(伊丹)行、ボーイング747SR-46が、
群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(御巣鷹の尾根)に墜落した事故である。

 
______ウィキペディア(Wikipedia)参照______

小さかった私達でも、衝撃が走ったあの大事故。
今までにも様々な本や映画にもなり、あれから26年が過ぎようとしています。
ここへ来る時は、きっと何か感じる事がある時なのだろう・・・
と、群馬に来る前から思っていました。
今日、私達は直感的に思う事があり、
相方も私も《初めての慰霊》の為に、登山口まで足を運ぶ事になったのです。
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墜落現場である「御巣鷹の尾根」には事故の翌年、慰霊碑が建立され、
毎年8月12日には慰霊登山などが行われている。

 
「御巣鷹の尾根」は財団法人「慰霊の園」が地元の人々を雇用する作業委託で整備が進められたが、群馬県警察の遺体発見場所地図を元に建てられた多数の墓標・みかえり峠の碑・せせらぎを渡る橋・手すりなど、地元の人々・警察など当時の関係者・日本航空職員などがボランティアの手作業で維持管理しているものも多数ある。

 

事故発生から20年以上が経ち、遺族の高齢化が進んでいることから、
2006年8月より墜落現場付近を通る砂防ダム工事用道路が村道兼林道として一般開放され、
墜落現場まで歩く距離が約2.2kmから約800mに短縮された。
______ウィキペディア(Wikipedia)参照______


登山というには、短いその道も・・・
傾斜がきつく、思いの外、苦しい場所もありました。
しかし、事故があった当時、
ここは道も無い、ただの尾根だったのです。
様々な方の想いが詰まったその道のりは、
私達にとって【生きる・生きていると言う事を根底から考えさせられる】一歩でした。

上野村は群馬県でも県境にあり、
特に上野村から、御巣鷹の尾根の登山道までは、
狭い山道とトンネルの連続でした。
慰霊碑には新鮮な湧水やお花があり、
沢山の方が慰霊にいらっしゃって、どこも綺麗に整備されているのを見て、
温かい気持ちにもなりました。

私が立っているこの場所で、あんな大きな事故があったなんて・・・。
でも、風化してはいけないような気がします。
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事故当時、墜落地点は御巣鷹山と報道されたが、
正確には高天原山系(たかまがはらさんけい)に属する無名の尾根であり、
御巣鷹山の南隣に位置する。
この尾根は後に、上野村村長であった黒沢丈夫によって
事故現場に最も近い御巣鷹山から「御巣鷹の尾根」と命名された。
______ウィキペディア(Wikipedia)参照______


ご遺族の方の様々な想いが、沢山沢山詰まっていて、
26年の重みを感じました。


26年も経つと、本当に綺麗になっているのと、
事故現場周辺の森や木々が美しい輝きだった事に心が穏やかになったのですが、
この焼け焦げて、炭化してしまった木を見た時は、
本当にショックでした・・・。
それでも、きちんと受け入れたいとも思いました。


上野村の中心に戻り、慰霊の園にも立ち寄りました。


尾根の頂上で、二人してある体験をしました。
でも不思議と受け入れられた事に驚きました。
今日のこの旅と、黄金色に輝く木々のおかげで、
何かが変わった様な気がします。


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